ひとり語り その2

現地観劇直後の興奮冷めやらぬ感想は既に書き殴ったので、ここでは配信(12/17 13時公演)も見返して思った事などを備忘録的に書きたいと思う(Xで呟いていたものも含む)

読んでも読まなくてもどちらでもいい第一弾のまとめはこちら

ひとり語り - 舞台感想置き場

 

くるむくんの芝居について

配信回だけでも3箇所ぐらい噛んでたんだけど噛んでも役は崩さず続けてたから、むしろそういう芝居のように観ることが出来てほとんど違和感なかった。

ウシロメタサが拐われる場面、「さ、拐われるぅ〜〜!」の言い方が妙に棒っぽいの、意図的かなと思った。心の何処かで拐われる事が満更でもない気持ちがあったのかなと。

現地で観た12/14昼公演のアドリブで、閉じ込められたウシロメタサが外の関係者たちと交渉する場面の「はい、上司に伝えておきます」、ジブンギライにツッコミする場面の「ってかあのポーズ何ィ?! もっとバリエーションなかったのぉ?!」好き。

ウシロメタサがジブンギライに振り回されたりする場面で少し声が裏返る部分がちょくちょくあるんだけど、その声好き。もっと聞かせて。

同じくウシロメタサが交渉する場面の台詞、どっかの上司と部下のやり取りとか電話対応でめっちゃ聞きそうな、いかにも口先だけですみたいな投げやりな言い方でクセになる。

ジブンギライがウシロメタサの真似をする場面のあざと可愛い仕草と表情、何気にそういうの今まで舞台では見た事なかった気がする。(チャリブラは可愛い系だったけどあざと系ではなかったので)可愛いにあざといを掛け合わせるんじゃない!余計に可愛いかよ!!

ジブンギライが「……2人で死んでみるか?」って言った後の2匹の曲の歌い方、追いかけっこをする様子があまりにも無垢で無邪気なんだよね。特に「このまま今が続いてと/願って泣いているの」に込められたウシロメタサの祈りのような願いを感じる歌い方が合わさって物凄く切なくなる。ウシロメタサが何をしようとしているのか察してしまうから。だからウシロメタサがジブンギライを殴って気絶させる展開は読めてたけど、殴る直前の覚悟を決めた表情を見た時点で涙が止まらなかった。いつの間にこんな演技出来るようになってたの聞いてない。

ウシロメタサを殺そうと寝かせる場面でそっと肩を抱え優しく後頭部に添えるジブンギライの手、気絶したジブンギライのおそらく肩の辺りを掴み顔の横に添えられたウシロメタサの手。どちらも相手に対する深い情を感じられる手の使い方だったのが好きだった。

終盤、仕切り直しの儀式を待つウシロメタサが、妄想のイキタガリと会話したりジブンギライからの手紙読んだりして動揺する場面での彷徨う手の演技がとても良かった。服を握ったり身体を触ったり何かを掴もうと握ったり開いたりと、とにかく手が落ち着かない動きをしているんだけど、それがウシロメタサの心情を言葉以上に雄弁に表していた。

今回目線の使い方と表情がとても良かった。事実を淡々と語りながら時折嘲笑するかのようなウシロメタサ、おどおどして視線を彷徨わせるジブンギライ、悲しみと痛みを共有して大切な存在になった互いを見る2匹の穏やかな瞳。どれもとても繊細に表現されていた。くるむくん自身が憑依型だからどの作品でも本人とは全く異なる顔になるのが好きなんだけど、今回はその域を超えていたというか。今回に関しては視覚的な顔つきの変化はあまりなかったけど纏う雰囲気が変わるような、今まで以上により内面に役が憑依しているような、そんな印象を受けた。個人的に1番好きだったのは、ジブンギライと心を通わせた事で生きたいという気持ちが掘り起こされて儀式に対する心境が揺れている時の、迷子のようにキョロキョロして怯えている目の動き。くるむくんの演技でその表情見るの超癖で大好きなんだけど、自分の「いきかた」という道に迷って迷子になっているように見えて涙腺が決壊した。

 

照明・セットについて

今まではどちらかというと照明や舞台セットは演者のサポートをするもの、世界観を作り上げる機構という認識があった。だが今回は一人舞台という特性もあるのか、照明や舞台セットそのものが演者の一部となって演技をしているかのような、そんな印象を受けた。

セットは柱の建て方が工夫されていて、上部に渡された梁や中央の踊り場舞台との位置関係でどの柱が前で後ろなのか一瞬錯覚して分からなくなる時があった。トリックアートのような舞台セットがとても面白かったし、敢えてそのように作られているのかなと思った。

そして死角となるような場所も多分意図的に多く作られていて、そこを使うことでより自然に役の切り替えが出来るようになっていたなと感じた。また照明が当たる事で表れる陰影が状況や心情をより鮮明に描き出しているようだった。

おそらく過去の事件の顛末をウシロメタサが話す場面だったと思うけど、下手の小舞台奥を青いスポットが照らしてゴボゴボという水音がフェードインし台詞に合わせて音がカットアウトした瞬間に少量のスモークがモワッと焚き上げられた演出があった。舞台上に居ないイキタガリの最期の様子が目の前にありありと描写されるような演出でゾクッとした。

蔵から出た後仕切り直しの儀式を行うため待機部屋に向かうウシロメタサを照らす照明が、交互に明滅を繰り返すスポットライトのみだったのが良かった。直前までの明るく色彩豊かな照明と対照的で、ウシロメタサの心情の変化がよく表されていたように感じた。

今回ウシロメタサが青、ジブンギライがオレンジというカラーで照明が使い分けられていた。2回目の儀式の場面で乱入したジブンギライを指し示すように客席中央の通路にオレンジのスポットライトが当てられた際、ちょうど自分の席列付近に当てられていたのとくるむくんの演技が相まって本当に真横にジブンギライがいるかのように錯覚した。照明の当て方がいきなりその場所を照らすのではなく、客席前方から移動させてその場所に止まる、という方法だったのも、ウシロメタサの視線を共有しているような感覚になりジブンギライがそこにいるかのように感じた要因だったのかなと思う。

ラスト、毛布を被りながら「当てにならなさすぎるな」と呟くウシロメタサに青とオレンジ両方のライトが当てられていて、横で寝てるだろうジブンギライの存在とくるむくん自身がどちらでもある(1人2役である)ことを暗示し様々な物語が岡宮来夢という一人の役者に集約されて終わる、そんな演出に思えて素敵だなと感じた。

 

脚本・演出について

まず福澤侑くん、振り付けしてくれて本当にありがとうございます。私はあなたの振り付けが大好きです。大好きな役者で大好きな振り付けが見られてこの上ない幸せでした。素晴らしいお仕事をしてくださりありがとうございました。

振り付けでも自然に役が切り替われるように工夫されているのが随所で分かり、演出とも合わさってノーストレスで色んな役を楽しむことができたのが良かった。

そして何よりも末原さんの脚本。今までで観た作品の中で1番言葉遣いが好き。台詞全部文字起こしして文章として読みたいぐらい大好きでした。文章の巧拙という基準は多少あれど最後は相性、好みだと思うので、私にとってはとても相性が良く素晴らしい脚本だったことがとても嬉しかった。

ウシロメタサがジブンギライに言う「君のあまりのクズさにツノがムズムズして生え替わりそうだよ」という台詞。苛立ちとか落ち着かなさを生え替わりのむず痒い感覚として表現するユーモアのセンス、とても好みです。仔山羊であるウシロメタサの特性を絡めつつツッコミ属性なキャラクター性を表現する言葉選びが上手いなと思った。

ウシロメタサがジブンギライに自分を殺して欲しいと頼む場面の「やけのやっぱち、自暴自棄で」という言い回し。この場面では、自暴自棄でどうでも良くなっておあつらえ向きな生贄の儀式があったからそれで死のうと思った、というウシロメタサの意思を伝えることが目的なので、それだけで言えば「やけのやっぱち」というフレーズは無くても成立する。「やけのやっぱち」「自暴自棄」という言葉を比較すると、イントネーションやリズム感が似ており、語尾で韻も踏んでいる。更に言えば、本来「やけっぱち」と表記する所を「やけのやっぱち」としたのは完全なる末原さんの造語である。そのためこのフレーズがあることによって、台詞としてのリズム感が生まれ台詞回しがよりスムーズに聞こえるようになり、ウシロメタサの意思をより強調していると私は感じた。この言葉遊び的な言い回しはぶっちゃけ個性とセンスで成り立つものだと思うので、こういう言葉遊びができる末原さんのセンスめちゃくちゃいいなと感激した。

終盤でウシロメタサが事件当時の事を回想する場面で出てくる「時間と共に閉じ込められた」という表現。狭く閉ざされた柱時計の中で時を刻む音と共に世界から隔絶されたような感覚と恐怖を表現しているのだが、その情景がこの短いフレーズに凝縮されている。ここは余分な装飾語は無しに非常に端的でそれでいて的確に表現されている。この表現の加減の使い分けがとても巧妙で、話の盛り上がりや緩急を感じられる言葉の使い方がとても上手いなと思った。

Amulet前の4曲目、物語のラストで歌う曲の歌詞がとても刺さったし好きだった。刺さった部分については第1弾で書いてるので割愛する。歌詞を見ると、糸・ほつれる・縫い合わせる、といった裁縫にまつわる言葉が出てくるのがとても印象的だった。仕立て屋になる夢を諦めたウシロメタサが、自分を受け入れて仕立てに関わる言葉で希望を歌う姿が、物語の結末としてとても美しかった。

ひとり語り

来る12/14、念願のクルム童話を観劇してきた。

マチソワで2回観劇することが出来たのだが、1回目で出るもん全部出るぐらい出し尽くしたからもう大丈夫だろうと2回目観てやっぱりグシャグシャの酷い顔になってた。端的に言うと、めちゃくちゃぶっ刺さった。

 

以下、思いつくままに溢れ出てきたものを書き連ねた乱文となってる。最低限の文章のまとまりは意識したが、自分の思考もとっ散らかっているので非常に読みづらいと思う。ご容赦願いたい。

 

ひとまず、くるむくんの演技、推しの贔屓目入ってるけどめちゃくちゃ良かった。いや噛んだ所もあったけどそんなん気にならんぐらい全部良かった。1人で何役か演じるのは比叡山の朗読劇以来だったから、上手くはなってるだろうけどどこまでできるのだろうかと思っていた。実際に観劇して、フォロワーさんの言ってた「くるむの声って200種類あんねん」というのを実感した。事前にツダケン以外の声はガヤ含め全て本人と聞いていたが、知ってても理解が追いつかないぐらい全然別人だった。あなたそんなに声色持ってたんですか…?ってスペキャ顔してたと思う。今まで聞いたことの無い声ばかりだったしその声のまま歌うの?!えっ歌ってるわ?!と幕開いてして暫くはひたすらびっくりしていた。

次第に慣れてくると、声色以外にも喋り方の演じ分けがしっかりされていることに気付いた。間の取り方や緩急の付け方など、キャラクター毎の掘り下げが深くなされていて、誰を演じるかによって瞬時に表情も声も話し方もガラッと変わるのが観ていて新鮮だった。おそらく演じる機会が無さそうな、神官や衛兵のようなキャラの演技が観られたのがオタク的にはめちゃくちゃ美味しかった。個人的に神官の声色がツボです。

そしてくるむくんが飛んだり跳ねたり走ったりする時に起こる振動が、客席に物理的な振動としてダイレクトに伝わって来たのが非常に興奮した。その振動によって自分が物語の世界に入ったような感覚が一層強くなった。これはあの小規模な箱だからこそ感じられるもので、そこにこの作品がミクサで掛けられた意味の1つがあるように感じた。あと物理的に距離が近いからめちゃくちゃ舞台上のくるむくんと目が合うし、くるむくん自身もいつも以上に客席見ようとしてたのが感じられた。そんなんされたらオタクは死ぬ。最高だった。

舞台上にはくるむくん1人しかいないので立ち位置等を瞬時に替えてウシロメタサだったりジブンギライになる訳だが、どの場面でもその時点で彼が演じていないキャラがちゃんと見えていた。まるで分身しているか残像が見えているかのように錯覚する程に。くるむくん自身もきちんと相手が見えているから観客である我々にもそれが伝わってくる。特に印象に残っているのが、ジブンギライがウシロメタサに馬乗りになって殺そうとする場面だ。ジブンギライが彼を殺しきれない葛藤から手が震えて爪が当たらないのを彼が避けたからだと八つ当たりのように叫ぶ下で、全く動かない自分の上を掠っていく爪を見てジブンギライの心の内を知り涙を流すウシロメタサが見えた。見えたからこそ、一緒に死のうと言ったジブンギライや、彼を殴って気絶させたウシロメタサの心の内がより深く自分の中に入り込んで来て心が震えた。

そしておそらく、末原さんの演出もそう見えるようにかなり工夫されているのだと思う。さり気ない仕草やセリフ回し、自然なポジション移動で、切れ目なく自然にキャラが切り替わるようにされているのだなというのを随所に感じた。

どの役にしても心情に合わせて目まぐるしく顔も声も表情が変わるので、くるむくんの引き出しの多さをひたすらに堪能出来る最高の85分だった。

 

そして脚本・演出。私には初めての方かつ独創性の強い世界観だと思っていたので、自分に合うか少し不安な部分があった。まぁそれは杞憂に終わった訳だが。結論から言うと物凄く波長が合った。

脚本はかなり癖のある言い回しが多用されていて、人によってはそこが少し難解に感じられるようだった。言葉の繰り返しや相反する言葉の並列が独自の世界観を創り出しているのだなと私は感じ、推測に過ぎないが彼の脳内の一端を垣間見たような気がした。きっと彼の脳内には数多の言葉が次々と湧き出ていて、彼のオリジナルルールによって一見矛盾するような言葉たちも矛盾することなく存在しているのではないかなと。どこか言葉あそび的に言葉を繋げていってそこから産まれ出たアイデアからまた枝葉のように広がる。その世界の一端が、あの脚本や演出に詰め込まれていたように感じた。キャラクターのセリフにも沢山のアイデアや感情が詰め込まれていて、時に思考が飛躍した言葉として表現されているため省略された言葉たちもあったのではないかなと思う。他にも、文脈とか関係なしにそのキャラの感情が大きく揺れ動いた言葉のみがピックアップされてる事ようなセリフ回しもあったように思う。それが独特のリズム感とキャラクター性を産み出していると私は感じた。彼のその感性は私の感性と非常に相性が良く、私が世界観に没入しやすかった要因の一つではないかと思う。何となくだが、彼の思考回路と自分の思考回路が結構近しいような気がしたのも、私にこの作品が刺さった理由だと思った。

そして個人的に好きだったのは、イキタガリのキャラクター性だ。ウシロメタサにとっては自罰意識が作り出した都合のいい幻像、ジブンギライにとってはコンプレックスを抱き続ける在りし日の残像として、全く異なる姿で描かれていたのが印象的だった。姿は異なるがどちらも、意図的に本質が見えないようベールで包んだ姿、すなわち向き合うことから逃げてきた自分の姿として描かれていたと思う。そんな2匹が出会ったことで、それぞれが己の内に抱えていたイキタガリ像のベールが剥ぎ取られ本質が顕になる。それは誤魔化し続けてきた自分と、イキタガリという鏡を通じて向き合うということであった。だから向き合った後の彼らには、イキタガリの声が聞こえなくなる。ベールが被され歪んだ鏡が生み出していた声だったからだ。イキタガリを彼ら自身のもう一人の自分という存在を映す鏡として描いていたのが、物語の構成として非常に面白いと感じた。

言葉の使い方としては1箇所、儀式を中断され混乱する神官たちの「爆弾で殺せ!放射能で殺せ!」という台詞を聞いた瞬間、ドキッとした。何故ならその瞬間私の脳裏には、今この瞬間も止まない戦争の情景が浮かんだからだ。ガザ地区の昼夜問わず止まない空爆核兵器の影がチラつくウクライナとロシアの戦争が、それらの言葉から連想された。末原さんがどこまで意図しているのか分からないが、脚本が上がった時期を考えてガザ地区空爆は始まっていなかっただろうが、ウクライナとロシアの事はもしかしたら少しは意図して放射能という言葉が使われたのかもしれない、と思った。

またこの作品において神官はナグイツの村の権力者として描かれている。そしてその立場を、貧しい身寄りの無い子供を利用することで維持していた。それらには権力者の一存で引き起こされる争いや、そこに巻き込まれる社会的弱者というこの現実世界の構図がそこに凝縮されているように感じる。村の嫌われ者の狼という存在も、社会的弱者として扱っていいだろう。その視点から見ると、権力者の身勝手な支配に抗おうとする弱者たちの物語という見方もできるのかなと。もしかしたらそんな裏テーマが隠されていたのかもしれないなどとも思った。まぁ発想が飛躍し過ぎるのが私の悪い癖なので、穿ち過ぎた見方かもしれないが。

 

あとは舞台セットと照明。セットは意図的に死角を作るように設計されているように感じた。その死角を活かしてキャラクターの切り替えを行えるように計算されているのだろうなと思う。そしてそこに照明が当たると光と影がはっきりと分かれて現れる。それがキャラクターの心情を補足する表現の一環として存在しているのが印象的で美しいと感じた。セット担当がファンタスティックスの方だと聞いて期待していたが、あの時観たものと同じように温もりを感じる空間作りで心が踊った。客席にも吊るされた裸電球の小さな照明が、あの時のように観客を舞台上の世界へと誘うようで楽しかった。他にも扉が開く時にくるむくんの背後から射し込む神々しさを感じる光や、回想シーンのおどろおどろしさを感じるような色の使い方など、作品の世界観をより魅力的にする光の使い方でとても好みだった。

 

 

ここからは自分語りとなるので更に見苦しくなると思うが、ご容赦願いたい。

私個人としては観劇中、ウシロメタサの葛藤が自分の過去と重なる部分が多すぎて、塞がってたかさぶたを抉り返されたような、パンドラの箱を無理やり開けられるような感覚になって見ていて物凄く苦しかった。

私は小中の頃不登校になっていたのだが、その時に感じていたことがウシロメタサと同じ、「生きていたくない」だった。
きっかけは異なれど同じ境地に立ったことのある自分からすると、「生きていたくない」≠「死にたい」なのだ。生きていくことが苦しくて苦手すぎて、能動的に生きていくことを辞めたい、その方法の一つとして「死」があるという感じだ。だから「死」そのものが目的ではない。なんなら自死を選ぶ程の覚悟もないから、毎日ただ漠然と時間が過ぎていくのを感じつつ、どっちつかずの自分自身に嫌気を感じながらもそんな自分と向き合うことから逃げてまた堂々巡りの日々に戻る。そんな感じだった。
これらが、ウシロメタサとジブンギライが逃げる場面の歌の歌詞やウシロメタサの独白にほとんど重なっていた。だからウシロメタサの言動は過去の自分の姿を追体験しているかのようで、真綿で首を絞められているような感覚だった。
そんなウシロメタサがジブンギライと出会って、奥底に仕舞いこんでいた「生きたい」という気持ちが揺さぶられ、最終的には「生きていく」ことを決意する。その姿に過去の自分も救われたような気持ちになった。その後に続く歌の歌詞にある「光も影も縫い合わせ」という言葉が、どんな自分も受け入れてそのままの自分で生きていけばいい、そうやって生きていく覚悟を決めるために背中を押してもらえたような気持ちになり、もう涙が止まらなかった。さっきまで自分を締め付けていた真綿が、いつの間にか自分を優しく包んでくれたような感覚になった。開いたパンドラの箱の底にはちゃんと、希望が残っていた。
自分としては過去に折り合いつけて生きてきたつもりだったけど、この観劇を通して本当の意味で向き合って受け入れることが出来たのかなと思えた。今でもやっぱり「生きていく」ことは苦手だけど、それでも自分なりの道を進んでいきたいなと思う。
本当に一生の宝物になるような作品を、少し早めのクリスマスプレゼントとして貰ったような、そんな幸福な観劇体験だった。

刀ミュ 花影ゆれる砥水 脚本についてのあれこれ

伊達双騎や江おんといういわば番外編での浅井脚本は観てきたが、本編での浅井脚本は今回初という事で個人的な所感を残しておきたいと思う。

結論から言うと私は、今までの伊藤脚本も今回の浅井脚本も、どちらも味わいが違って美味しく頂けそうです。ただ持ち味は本当に真逆かってぐらい異なると個人的に感じたので、それをこちらに書き記しておこうと思う。

 

伊藤脚本

例えるなら濃厚こってり豚骨ラーメンの味わい。個人的所感としては、様々な要素を盛り込みつつキャラの設定に新たな役割を付加し、これでもかってぐらい濃密な内容なのにバランスを崩さない絶妙さが光る、足し算の脚本という印象を持っている。パライソなんかはその印象が顕著だ。島原の乱にまつわる諸説を盛り込みつつ、それぞれのキャラの公式設定を超えた役割(特に鶴丸や心覚豊前)も付加させて時代劇と2.5を融合させたエンタメとして成立させている。これでもかってぐらい要素を入れ込んで全方位から殴ってくるような内容になっているおかげで、観客的には猛毒の劇物をいきなり口に入れられて何故と思う間もなく即死しているような感覚になるのだが。

とにかく伊藤脚本は要素を盛り込むのが本当に上手いと思う。1つの幹からそんなに枝葉広がるんですか?!ってぐらい話を広げてくれるので、行間を読むのが大好きなオタクはあるか無いかも分からない行間を読んで勝手に自爆している光景がよく見られる(私ももれなくその一人である)。

 

浅井脚本

例えるなら出汁香るあっさり塩ラーメンの味わい。個人的所感は、キャラの公式設定という素材が持つ旨みを極限まで引き出しつつその味わいを更に引き立たせるような要素を絞って入れてシンプルに仕立てた、引き算と掛け算を合わせたような印象。

特に各男士のキャラクター像の描き方が秀逸だなと感じた。様々な要素を持つ大枠としてのキャラ像という木材から、ミュ本丸の男士という彫像を彫り出しているような印象をうけた。それだけ各男士の性質そのものを深く掘り下げるような描き方は、伊藤脚本とは異なる所であったと思う。

そして何より、伊藤脚本によって広がった枝に実った果実を全て回収するんだという意志を感じられた。これは伊達双騎や江おんも然りなのだが、過去作の出来事を台詞や曲という形で今まで以上に明言してくれていたのが個人的には良かった。これから広がりに広がった伏線を少しずつ回収していく道筋がやっと示されたような気がした。なので新たに盛り込まれる要素が少ない分薄味に感じるかもしれないが、気づかないうちに少量ずつ薬を盛られていて気づいた時には致死量に達していた、というような脚本になっていきそうな予感がして今から震えている。

 

歴史へのアプローチ法

伊藤脚本は歴史上のある出来事にフォーカスして縦軸として捉え、歴史という大河に翻弄される1ピースとしてのヒトをカミ視点で描く、という印象を持っている。対して浅井脚本は、ひとまず伊達双騎と花影においては特定の個人にフォーカスし横軸として捉え、刹那を生きるヒトと永遠に残るモノとの関わり合いをヒト視点で描いているような印象を持っている。

それ故に伊藤脚本の良さは非常にドラマチックに歴史事件を描ける点にある。描く範囲を限定することで様々な要素を入れられ、物語を膨らませて大胆に展開していくことが可能だ。

対して浅井脚本の良さは、個人の背景や心理を深く掘り下げられることだ。伊藤脚本の持つ歴史ドラマ的なスケールの大きさには欠けるかもしれない。しかし過去の人物があたかも目の前に現れたかのような解像度でもって存在し、その生き様を目撃することができる人間ドラマ的な繊細さがある。

 

脚本構成・歴史へのアプローチ法としてどちらもありだし、それぞれ見える世界が異なって面白いと個人的に思う。もちろん各々方の好みはあると思うのでどちらも好き嫌いは分かれるだろう。幸運なことに私はどちらも美味しく頂けそうなので、その違いを楽しみつつ刀ミュ本丸の行く末を見守って行きたいと思う。

ジャンル「進撃ミュ」という作品

前回の感想ブログで敢えて言及しなかった点について、もうちょっと掘り下げてみたくなったのでまたしても書こうと思う。言及しなかった点とはこちらの記事のBlade Attackersの項目にてチラッと触れたやつです。

人外絡みグロ耐性なしの俳優推し舞台オタクが推しにひかれて進撃ミュ観に行ったらめちゃくちゃ楽しかった話 - 推し活舞台感想置き場

というのもTwitterで感想を漁っていて少し気になるものを見かけたからだ。それは

キャラありきの2.5を観に来たのに、メインキャラが目立っていなくて残念

というものだ。

これまで自分でも2.5次元の定義とはなんぞやという悪魔のような問答をしていた身にとっては、非常に興味深い新たな知見を得た気分だった。本当はこの点について深く語りたいがそれをしてしまうと今回のテーマから逸れてしまうので、ひとまず程々にしながら進撃ミュの演出の方向性についてなるべく多角的に見ていきたいと思う。

以降に記載する内容は全て個人的見解による数多ある考えの1つに過ぎない、という点をご理解ください。様々ご意見あるかと思うので、そちらはぜひお聞かせ頂けると嬉しいです。

 

ひとまず結論から言ってしまうと、進撃ミュは

2.5次元作品的要素もあるが、それ以外の要素も存在する複合的な総合舞台芸術作品である

という結論になると個人的には考える。

以下にその結論に至った理由を列挙していこうと思う。

進撃ミュを構成するメインの3要素

2.5次元作品としての進撃ミュ

そもそも2.5次元作品とはなんぞや、という定義についてですが、おそらく十人に聞けば十通りの答えが返ってくる。つまり確固たる定義は無いに等しい。しかしそう言っては埒が明かないのでひとまず、下記のように定義して話を進めていこうと思います。

①特に原作が漫画・アニメ・ゲーム等の、キャラクターや世界観がビジュアル化されている2次元的な作品の舞台化作品であること

②原作に登場する2次元のキャラクターたちが、3次元の生身を得た姿を見に行くための舞台作品であること

③メインキャラを目立たせることに演出の主軸が置かれている舞台作品であること

④脚本に回替わり要素が組み込まれていること

 

まず①・②はもう既に言わずもがな、原作の再現度という点においてはかなり高いクオリティで再現されていると言っても過言ではないと思う。④の項目についてはいわゆるグランドミュージカル系の作品もにもない訳ではないが、2.5と評される作品において特に多いと個人的に感じているため記載した。この点について言えば進撃ミュは、脚本に予め組み込まれた回替わり要素はおそらくないため、2.5次元作品的要素は薄いと言ってもいいかもしれない。

問題は③の項目についてだろう。通常2.5次元作品におけるアンサブルという存在は、あくまでもメインキャラをサポートするという役目が大きい。話の繋ぎや状況説明的な意図でアンサブルの数が多数を占める場面は存在する。しかしアンサブルを見せるための演出がされた場面というのはあまり見かけないな、というのが個人的な印象だ。また、メインキャラが登場しない場面構成も少なめであるように思う。つまりこれがメインキャラを見せるための演出、ということになる。2次元のキャラを3次元に具現化する、という目的の強い2.5次元作品において、これは当然と言えば当然かもしれない。

進撃ミュをこの視点で見ると、いくつか当てはまらない点があるのは、観劇された方なら思い当たる場面があるだろう。例えば序盤の調査兵団帰還の場面や超大型巨人が壁を破って街が大混乱に陥る場面。それらの場面においてメインキャラはいるが歌唱していなかったり、そもそも出ていなかったりしている。加えて大人数でのアンサブルコーラスにソロがあったりと、彼らをメインに据えた演出がされているのは一目瞭然だ。他にもアンサブルのみで構成された、メインキャラが一切登場しない場面もいくつか存在している。

他には通過儀礼の集団群舞の場面。メインキャラは出ているが、意図的に彼らを目立たせるような演出はされていない。それどころか訓練兵の1人として、意図的に集団に紛れるような構成になってさえいるように感じる。しかもフォーメーションのセンターにいるのは主役のエレンではなくジャンである(そのジャンでさえ最前列にはいない)。この点については後述するため今は詳細を省く。他にもアンサブルに混じって同列にアクションを行うメインキャラたちが居たりと、メインだからという特別扱いをされていない場面が多々ある。

こうして見ると進撃ミュは、キャラを見せることを目的とした2.5次元作品という視点から見ると真逆のことを行っていることになる。この点が、「キャラを見に行ったのにキャラが目立ってない」という感想に繋がった要因ではないかと思う。

では前述のような演出はどこからきたのだろうか。次はその点について見ていきたいと思う。

 

グランドミュージカル作品としての進撃ミュ

グランドミュージカル(以下グラミュと略)という言葉は、舞台オタクではない方々には馴染みのないものだと思う。こちらも確固たる定義付けがあってないようなものだが、ここでもひとまず下記のように定義して話を進めたいと思う。

○座席数が1,000席程度を超える規模の劇場で行われる作品であること(帝国劇場・御園座梅田芸術劇場博多座・宝塚劇場・四季劇場など)

まぁ簡単に例を挙げるとレミゼミス・サイゴン、キンキーブーツ、オペラ座の怪人ライオン・キングウィキッドといったブロードウェイ作品のような、世界的にメジャーな作品がそれに該当する。ここでは定義に関してはそこまで重要ではないので、先に挙げたような作品を想像して頂ければそれで十分です。

これらの作品を聞いて思い浮かべる光景の中に、大人数でのコーラスやダンスによる迫力あるシーン、というものが少なからずあるかと思う。これはカンパニー規模の大きいグラミュならではの演出と言っても差し支えないだろう。メインキャストだけでなくアンサブルにスポットを当て主張することで、その場面の迫力だけでなく物語全体の説得力や重厚感なども演出する重要な仕掛けとなっている。

進撃ミュにおいて先に挙げた場面は、まさにこれに該当するのではないだろうか。多くの人の感想で目にする「グラミュみたいだった」という言葉は、個人観測の範囲においてだが、アンサブルがメインとなっていた場面について言及したものがほとんどだったように見受けられた。そしてこのような演出は、そもそもカンパニー規模の異なる一般的な2.5次元作品では難しいものでもある。このような演出を取り入れたことが、進撃ミュの2.5次元作品らしくなさ、ひいてはグラミュっぽさに繋がったものと思う。

しかしこの2要素だけではまだ説明しきれない部分があるので、次はその点について見ていきたいと思う。

 

パフォーマンスショーとしての進撃ミュ

先に挙げた2要素でも説明出来ない演出がまだ残っている。特にそれが顕著なのが

①もはやこちらがその場面のメインのような存在感を放つトランポリン&ヘッドスピン

②主役キャラがいるのに別キャラがセンターを務めるダンスシーン

の2場面だ。この2点は2.5にもグラミュにもない要素のように思える。ではこの演出はどこからきたのか。一番しっくりくるのは、パフォーマンスショーとしての演出ではないだろうかと個人的には感じた。

その突出した技術を見せることが目的のショー的な演出だとしたら、先に挙げた①の場面も納得がいく。訓練された兵士たちの身体能力を見せるための表現としてトランポリンやヘッドスピンが取り入れたと考えれば、それらがメインとなる場面構成も理解できる。大阪公演ではヘッドスピンをされていた方がパフォーマンス終了後にポーズを決めキャップとボードを持って退場する所まで見せていたので、余計にその雰囲気が強かった。ただこれはミュージカルとしても進撃の世界観としてもそぐわなかった。東京公演ではそれがなくなりパフォーマンス終了後に心臓を捧げるポーズで暗転という演出に改善されていたので、安心したところではある。

また②の場面においても、「上手い人がセンターになる」というパフォーマーの単純明快な理屈で見れば、実に理にかなったフォーメーションである。つまり、キャストの中でも突出したダンススキルを持っているからジャンがセンターにきた。ただそれだけのことだ。またジャンの周りを固めていた布陣も、その世界でかなり名の通った方々ばかりであったとの情報もある。他にも各キャストの持つポテンシャルを見せるような演出がされている場面が多々あるが、それらもショー演出として見れば納得がいく。

進撃ミュの見所の1つでもある大人数での群舞は、先に挙げた場面以外でも何箇所かで見かける。しかしこちらもストーリーや登場人物の感情を補完するミュージカル的手法のダンスというよりは、ダンスそのものを見せるためのショーとしての演出要素が強かったように感じた。

 

またこれは要素という程のものではないが、特に劇場(のとりわけ前方席)で観劇した際の、大阪の某有名テーマパークのようなアトラクション感を非常に強く感じた。開演前の地響きの演出やプロジェクションマッピングと融合したアクション、巨人パペットを使った見せ方が、そこに深く影響していたように思う。それらを劇場で目にしていると、私個人は客席に迫って来るような感覚を覚えた。「観劇」という行為は比較的俯瞰的な立場で行われる印象が強いが、進撃ミュにおいては自分も登場人物の一人となり「体感する」という表現が相応しいような、舞台と客席の一体感を非常に強く感じた。

先に挙げた様々な要因が、進撃ミュを様々な感覚で捉えられる多面的な作品にした大きなポイントだと私は感じた。

 

そもそも2.5次元作品とは何か

ここで進撃ミュを紹介するメディア記事を見てみると、ほとんどの媒体で「2.5次元作品」という表現がされている。先に私は2.5次元作品らしからぬ進撃ミュの演出について書いていたが、世間一般では進撃ミュは「2.5次元作品」として括られている訳だ。しかし蓋を開けてみると進撃ミュは2.5らしからぬ要素が盛り込まれているため、それが驚きとなり大多数では好意的な反響となった。つまり2.5次元作品に対する世間一般的な分類や認識と、進撃ミュの演出方針に乖離があったということになる。

では世間一般的な認識としての2.5次元作品とは何なのだろうか。これは私の主観だがおそらくは先に挙げた

①特に原作が漫画・アニメ・ゲーム等の、キャラクターや世界観がビジュアル化されている2次元的な作品の舞台化作品であること

②原作に登場する2次元のキャラクターたちが、3次元の生身を得た姿を見に行くための舞台作品であること

ではないかと考えている。そのため、特に

③メインキャラを目立たせることに演出の主軸が置かれている舞台作品であること

という認識で観に行った方々にとっては、思ってた2.5次元作品と違う、という感覚になったのではないだろうかと推測する。

しかし①②のように2.5次元作品を定義すると1つ疑問点が生じる。それは、「東宝や宝塚で興行されるメディアミックス作品は2.5次元作品ではないのか」という疑問だ。この2月3月の帝劇ラインナップを見れば、キングダム・SPY×FAMILYとメディアミックス作品が続く。また昨夏には千と千尋の神隠しも上演されている。宝塚の代名詞ともなっているベルばらはメディアミックス作品の先駆けでもあるし、近年ではシティーハンターなど積極的にメディアミックス作品を展開しており、その数は相当数になる。ここから、いわゆるグラミュ系統の作品を展開する主催団体も、今や積極的にメディアミックス作品に力を入れている時代だということが言える。しかしそれらの作品に対して「2.5次元作品」という表現は使われない。先の①②が世間一般的な2.5の定義ならば、本質的な部分は変わらないというのに。私はこの点に大いなる矛盾を感じてしまう。

とてもメタ的な部分で区別するならば、ネルケプランニングマーベラスといった、いわゆる2.5をメインに手掛ける企業が主催する舞台作品を2.5次元作品と表現しているのだろう。しかし主催団体で舞台作品のジャンルを分類するというのは、非常にナンセンスで短絡的な行為であると私は考える。

そもそも2.5という言葉には、若手をメインに据えた規模の小さいクオリティの劣る作品、というニュアンスが含まれていたと個人的には思っている。その言葉が生まれた当時の一般的な商業舞台作品よりも格下の位置づけとして、2.5という言葉が存在しているように感じていた。確かに黎明期の2.5次元作品をみると、とりあえず何となく原作に似せてみましたと言わんばかりの衣裳やウィッグ・美術セットはどことなくちゃちで、脚本もよく分からない原作改変があったり、役者の演技もひとまず見られるレベル、という作品が目立ったのは事実だろう。③に定義したような演出も、カンパニーの規模も予算も少なかったためにメインキャラを主軸にした演出にせざるを得なかった背景があったのではないだろうかと個人的には推測している。

しかし2.5というジャンルが受け入れられ、市場規模も大きくなっていくにつれその認識は変化していったように思う。ひとつの作品にかけられる予算が増えたことで細かなディテールに拘われるようになり、それを観た観客がよりレベルの高いものを求めるようになり、ジャンル全体のレベルも底上げされた。それがファンを増やし、落とすお金が増え、予算増に繋がり……という流れに昨今はなってきているように感じる。若手キャストメインなのは大きくは変わらないが、育てる環境が整ってきたことによりよりレベルが上がっているし、脇役としてたまにびっくりするような大ベテランを据えた作品もある。衣裳やウィッグもより再現度が高くなり使用素材の質も上がり、大掛かりなセットを組む作品も珍しくない。いわゆるグラミュと同じとまではいかないにしても、かなり遜色ないレベルの作品が生まれているのが、今の時代における2.5次元作品ではないだろうか。

 

ジャンルとしての「進撃ミュ」

だいぶ話が逸れてしまったが、話を進撃ミュに戻したいと思う。

この進撃ミュという作品は、一般的な定義としての2.5次元作品からは逸脱した点が多々ある。先に挙げた演出点の違いもそうだが、いわゆるアンサンブルの数を見てもそれが言える。今回Blade Attackersと呼ばれるアンサンブルの数は20人。この数は一般的な2.5次元作品のカンパニーとしては規模がかなり大きい方だ。グラミュカンパニーの規模に近づいていると言ってもいいかもしれない。またチケット代を見ても、今回の公演はS席相当席で13,000円となっている。一般的な2.5次元作品のS席相当席はおよそ10,000円前後が多く、帝劇作品は15,000円である。チケット代を見てもグラミュにかなり近い価格設定となっている。作品の規模やクオリティからすれば妥当な値段だったと観た方は分かるだろうが、2.5次元作品という認識からみると高いという印象を受けるだろう。

色々書いてきたがつまり何が言いたいかというと、進撃ミュという作品は2.5次元作品という枠にはまらない作品であり、それがこの作品の良さでもある、ということだ。だから人によっては思ってたのと違って合わなかった、という感想になるかもしれない。それはそれでいいと思う。なぜならこの進撃ミュという作品は、様々な舞台芸術の要素を取り入れた、とても複合的で多面的な性質を持つ作品だからだ。もはや「進撃ミュ」というジャンルだと言ってもいいかもしれない。だから、この要素は好みに合ったけど別の要素は好みではなかったということはきっと起こりうるだろう。

だからこの進撃ミュを表現する手段として単純に2.5次元作品と括ってしまうのは、とても短絡的ではないかと思ってしまう。なぜならその括りが、作品の本質を隠してしまうかもしれないと考えるからだ。メディアの宣伝文句が個人の判断に与える影響は、意外と大きなものだ。もし、2.5次元作品だと思って観たら違ったから微妙だった、2.5次元作品だから観ない、となってしまったら。それは非常にもったいないことだと思う。だからどうか、そういった分類だとかの垣根をとっぱらって、1個の舞台作品として進撃ミュをぜひ見て貰えると嬉しいなと個人的には願う。

人外絡みグロ耐性なしの俳優推し舞台オタクが推しにひかれて進撃ミュ観に行ったらめちゃくちゃ楽しかった話

どこぞのラノベかというタイトルですが進撃ミュ想像以上に良かったという感想
当方エレン役の岡宮来夢くん推し原作未履修、ミュ観劇の為にアニメ1期と原作最終話までのネタバレでふわっと履修してきただけのドにわかですので、原作ファンの方には至らない点があるかと思いますがご容赦頂けますと幸いです。(原作履修は私の耐性的に難しく…お許しを)


以降ネタバレと推しへのクソデカ感情とやや厳しめ意見も含みますので、大丈夫な方のみ読み進めて頂ければと思います。
また書かれているものは全て私個人の所感に基づくものですので、ご意見等あるかと思いますがご了承くださいませ。

 

始めに

 

まず情報解禁された時嬉しさ半分、不安半分という感じでした。というのも世界的に人気もあり熱心な原作ファンの多い作品で必然的に皆様からの評価が厳しくなるだろうというのに加え、先の夏にチケ戦でも演出でも混沌を極めた某ステがあったので……
演出・脚本・音楽・歌詞の制作陣を見て大コケはしないだろうなという最低限の安堵はありつつ、チケ譲渡ツイやリセール・一般発売の状況、他作品以上に宣伝に注力している様子を見て、(あ、思った以上にチケットの売れ行き芳しくないんだな……)という裏事情が薄ら透けて見えたので正直不安の方が大きかったのは事実です。まぁそうなった複合的な理由もなんとなく察しはついてるのでそうだろうなという感じでしたけども…
とりあえず盛り上がらなくてもいいから某ステみたいな炎上をしないで全員怪我なく無事に無難に終わってくれればいいという思いでした。(最前列追加販売は炎上案件だと思いますが)


いざ初日の幕が開いたので現地や配信で観たフォロワーさん達の感想をネタバレ踏みすぎない程度にそれとなく漁ってみた。…あれ、なんか結構高評価?いやでもオタク推し贔屓の色眼鏡かけがちだからそこまで期待上げずに…え、原作勢の方々からの評価も悪くない……だと?!なんかリピチケの話も結構聞くな…?!これはちょっと…期待してもいいやつですか…?


そして迎えたMY観劇日、大阪千秋楽。様々な感情でこれまでとは異なる緊張を味わいつつ着席しいざ開演―――
………めっっっっっっちゃ楽しかったな?!え、過去ないぐらい興奮冷めやらぬ自分がいるんですが?!

進撃ミュ、めちゃくちゃ楽しーーーーーーーー!!!!!!!

 

 

演出などメインキャスト以外の諸々

脚本

まず何より脚本。私が敬愛する故某有名劇団創設者の言葉を借りるなら、「作品の出来は脚本で8割決まる」んですよ。(※正確には「演劇の感動は『八割が戯曲の文学的要素』から生まれます」を私なりに解釈したもの)それぐらい脚本って超重要で。
何故なら演出や役者の不出来はフォローのしようがあるけど、脚本だけはどうにもフォローしようがないので。どんなにいい演出や役者つけても脚本がダメだともうどうしようもないんです。だから脚本がどう原作を纏めるかで舞台作品の評価のほとんどが決まると言って過言ではないんですよ。
そして今回の脚本。
畑先生ありがとうございますっっっっっっっっっ!!!!!!!!!!!!別作品で8巻強の内容を2時間に纏めた手腕は流石だった!!!!!!!!!

登場人物も多ければ人間関係も世界観も複雑かつ重厚なストーリーをよくあの尺と人数で纏めたなと感服の限りでした。幹部組3人で他の上官たちの置き換えをしたり、原作勢の方々にはきっと少し強引に感じる部分もあったかなと思うんですが、個人的には違和感なく最後まで話が入ってくる構成で良かったと思います。巨人組の104期3人は名前付きキャストとしてはいなかったけど存在は仄めかされたので、ワンチャン続編制作となっても如何様にもできる設定と展開で上手い…!と膝を叩いておりました。

 

歌詞・音楽

歌詞と音楽も作品の世界観に沿うようにしっかり作り上げてくださっていたので、より深くこの世界に没入する事ができました。歌詞の三浦さんは原作の台詞を上手く歌詞に組み込みつつオリジナルで補完するのが上手い方という認識で、今回もそれが遺憾無く発揮されていたなと思います。

音楽のKEN THE 390さんはラッパーというイメージが強くどういうテイストで来るのかなと思っていた部分はあったのですが、ラップ調も入れつつ重厚感や疾走感、時には透明感もある音楽の数々で良かったなーという感じ。
1点挙げるならラップベースで結構早口な曲も多かったから、原作知識がある程度ないと聴き取りにくかった所がままあるかなという部分。ただこれは観客側の知識という解像度にどこまで委ねるかという匙加減の部分でもあるので、今回はこの方向性で行くと決めた制作陣の姿勢を私は支持したいなと思う。

 

演出

そして演出。各種インタビュー等でマンパワーを大事にしたいと言ってくださっていたので、映像演出とどう組み合わせて来るかなと思ってたら……最高でした。素晴らしかった。

まず開演前の場内アナウンスの演出から良かった。アナウンスの終わりが巨人の足音にぶつ切りされる演出で、幕が上がる前から進撃の巨人の世界に誘うとて良い導入になっていた。
冒頭で巨人たちが出てくる場面。コンテンポラリーダンスのような身体の柔軟性を活かした独特な動きで、巨人の得体の知れなさ、気味悪さというのが言葉なくして雄弁に伝わってくるようで。そして映像として登場した巨人も冒頭の巨人ダンサーズの方々が演じている姿を実際に収録して使っていて、実物と映像で上手くリンクされていてリアリティをより感じられるいいアイデアだなと思って観てました。これがCG合成巨人だったら多分私観た瞬間にシラケてましたね…。破壊された街等の背景映像はCGだけど、そこに生身の人間が演じた姿が組み合わせる事でリアリティがあった。だからこそ市民たちが犠牲になる場面やカルラが捕食される場面、34班が壊滅に追い込まれる場面等の恐怖や嘆きの演技に説得力があったんだろうなと。
あと舞台って「想像しなくてもいい」のがいい所の1つだと思ってるんですよ。今回実際に人間が食われる場面は、映像巨人を使って照明やスモークで役者を消す事で表現するスタンスで。その瞬間の血飛沫や咀嚼の映像はあるけど、「食われた人間がどんな状態になっていたか」は目に見える形での表現をしていなかった。そこに私は救われた。イラストや映像だとダイレクトな表現をされるから否が応でも目に入れざるを得ないんだけど、舞台ではそれがないから観客の想像力に委ねる。その表現から何を想像して想像しないかってのは、観客の自由なんですね。手足首が飛ぶとか血飛沫ブシャーとかは平気だけど人外が絡むというその一点において苦手な私は、想像しないという選択肢があったおかげで最後まで目を背けること無く観ることができました。これは舞台演出に感謝の思いです。
超大型巨人やエレン巨人は物理的な巨人として登場させたのも、他の巨人たちとの差別化ができて良い演出だったなと。巨大な顔と手だけで演出された超大型巨人はその強大さを体感できたし、パペットとして全身を黒子の皆様が操ったエレン巨人と鎧の巨人は、その機動力とパワーを納得させられる存在になっていた。
そしてそこに融合された映像演出。これが本当に上手かった。某アラウンドな劇場とか円盤だとかで映像と役者の芝居を組み合わせた演出は過去にも観てるんですが、あまり良かった記憶がないんですね。映像作品と違ってその場で合わせるから、上手く合わせないとどうしてもリアルな役者とフィクションの映像との乖離を感じやすいんですよ。この合わせるってのが、コンマ数秒ズレるだけで違和感となってしまう。かといって役者が合わせに行き過ぎてしまうと、映像の方がメインに見えてしまって芝居が立たない。役者の存在感がないとそもそも映像の迫力に負ける。そうなるととても、ままごと感が増してしまうんですよ。言葉を選ばずに言うと。このバランスがめちゃくちゃ難しくて針の穴を通すが如く超繊細な作業が必要な訳で。
この進撃ミュ、いくつか惜しかった点はあるものの総じてとても上手かったんです。映像の方を全てCGにしなかったのも効いてるけど、タイミングがもうバッチリで。合わせてる感がほとんどなかった。いい意味で映像を気にせずキャスト・スタッフの皆様が動いているように見えたのがとても良かった。それが相まって、本当に映像と一体となって場面を作り上げているように見えて非常に素晴らしかった。映像とリアルな役者の芝居・巨人パペット・ワイヤーアクション。その全てにおいてキャスト・スタッフの皆様がタイミングを全身に叩き込んで来ているのがよく分かる動きをしてくださっていた。舞台がナマモノである以上、その回のコンディションで多少ズレることはあるけど、大きな違和感を感じなかったのは皆様の練習の積み重ねのおかげだと思える演出でした。皆様に最大限の賛辞をお送りしたいです。

 

ダンス

今作のもう1つの見所がダンス。特に統率された大人数での群舞が本当に秀逸。統率された軍隊をこれ程見事に表現した作品が未だかつてあっただろうか。あのキレッキレの動きをあそこまで合わせるには物凄い練習量があったんだろうなと。フォーメーション見るとなんとなく苦手っぽそうな方々は目立ちにくい場所にいるんだけど、それでも全く悪目立ちすることは無く。中にはダンスを専門としてない方々もいるから合わせるのは本当に大変だったはずだと思うんです。それを開幕直ぐからあのレベルで合わせてきてるの本当に素晴らしい。あの迫力は映像でも勿論なんだけど、劇場で足音や振動と共に観ると本当に大迫力でした。

 

Blade Attackers

そして何よりもBlade Attackersの皆様マジで凄い。素晴らしすぎる。各種舞台作品観る度にメインそっちのけで観ることだってざらにあるぐらいアンサンブルの皆様のお芝居やダンス観るの大好きオタクなんだけど、これまで見てきた中で1番と言っても過言ではないぐらいレベルが高かった。というかなんなら所々メイン食ってましたよね?レベルで皆様方が主演ですの勢いでしたマジで凄かった……。
Attackersの皆様の中でも各種分野に突出した方々がいらっしゃるから、その方たちの実力を存分に披露するような見せ場があったのも楽しかった。いわゆる王道ミュージカル作品ではそういう演出って見かけなくて、一種のショーのような演出が斬新で面白かった。その見せ場の中でも引けを取らないぐらいその他方々もレベルが高くてですね…歌なら歌、ダンスならダンス、アクションならアクション、という感じでそれぞれのプロフェッショナルを集めるのがよくあるパターンなんだけど、Attackersの皆様、歌もダンスもアクションも(とてもハイレベルな)一定ライン以上で揃えていらっしゃって…皆様の並々ならぬ修練の賜物だと思うんだけどそもそもキャスティングした制作陣、どこからそんな逸材を…?!
個人的MVPはミーナ役も務めたMARISAさん。市民コーラスのソロで劇場最奥まで突き抜けるかのようなあの声量と美声に全て持ってかれた…しかもあのトップ娘役でいらした舞羽美海さんの素晴らしい歌唱と並んでも引けを取らない!!!凄い!!!!歌唱力異次元過ぎる!!!あなたが優勝!!!!!

はい、歌の上手い人が大好きです、私。
あとはトランポリン使って壁登りしながら壁上で無限ヘッドスピン決めるあの場面とか、もはやそっちがメインになってて手前で何してたっけ…ってなってたんだけど、幹部組が104期生視察に来てたシーンだったのね(ダイジェスト見て思い出した)。壁登りトランポリンも無限ヘッドスピンもそれ、バックで同時に見せていいレベルの技術じゃねぇ〜!個別にお金払うレベルなんだわ。あそこは演出的にそれで良かったのだろうかという思いがあるのだけど…後ろの方々を見せるならそれだけの方が良かったのでは?とか、手前の芝居見せるなら後ろはもっと抑えた方が良かったのでは?と色々思っちゃうんだけど、私は演出家ではないので分かりませぬ…解散!!教えて植木さん〜〜〜〜!!!
あと所属兵団決める場面でのエレンの大演説、意外とサラッと終わってしまったな…?という印象だったんだけど皆様どうでしたかね…なんかあんまり説得力を感じなかったというか、あれでは調査兵団に入る!!!って皆の意識を変えられないかな〜?って思ったんだけど。演出の問題なのかそれとも来夢くんの歌唱力の問題なのか。東京の配信で確かめたいと思います。

 

改善希望点

あとここは改善して欲しい!って思ったのはスモーク。終盤のエレンとアルミンのデュエットで焚かれるあのスモーク。役者見えねぇーーーー!!あそこは2人の芝居が見所のはずなので!東京では!修正求む!!他には巨人化解けて意識朦朧のエレンがスモークの中から現れるあそこ(だったはず記憶がやや曖昧)。私が観た回だけならいいんだけど。上手舞台セット端からシャッと出てスチャッとスタンバイする来夢くんのシルエット丸見えだったけどあそここそ隠さなくて良い?くる民(※来夢くんファンの名称)的には推しシルエット見えて大興奮だったけど。まぁ色んな都合もあるかと思うからこれ以上言及するのはやめておきます。


ここまでそこそこ書いてきて推しの事ほぼ触れてないやばい。なんならメインキャスト陣の話ここからなんだけど。という訳でお暇な方はもう少しお付き合いくださいませ。

 

メインキャスト陣

イェーガー家・兵団・リーブス

ディモ・リーブス。冨田さんキャスティングされてるからどっか他に絡ませる予定でもあるのかと思ったらマジであの一瞬しか出てこなかった。あの一瞬の為だけにキャスティングしたの…?ぶっちゃけAttackersの誰かに兼役してもらっても良かったレベルの出演時間なのに正気か?とは思ったけどあの一瞬でキャラクター性に説得力を持たせてミカサをカッコよく見せる為に正解でした。冨田さん流石です助演男優賞モノでした。


キース・シャーディス。でっっっっっっっか脚長っっっっっっっっっが!!!!!!!物理的な存在感半端なかったっす……。あれで威圧されたらビビるどころじゃねぇです。そりゃあの言うこと聞かねー個性闇鍋な104期生も従うわ…となりました。


ハンネスさん。序盤の酒癖悪いだらしねぇオッサンから巨人襲来時の漢気と弱さ、エレンたちを見守る優しいまなざしまで演じ分けが素晴らしかった。流石でございます村田さん。カッコいい所もダメな所も愛せるハンネスさんでした。


グリシャパパ。いよっ待ってました唐橋さん!エレンの運命を握るキーマンとしての存在感、秘密を抱えているミステリアスさ、どこか得体の知れないオーラ。短い出演時間で流石のお芝居でございました。稽古場でのかわいいエピソードも含めて推せるみんなのパパ最高です。
あと序盤、100年振りの巨人襲来シーンで食われるウォール教の司祭やっていらっしゃいましたよね??あそこの狂信的なお芝居も見事でございました。


カルラママ。宝塚OGの皆様方には様々な作品でお世話になっておりますがこの度も期待以上のものをお見せ頂きただただ感謝でございます……。捕食される場面、本当に圧巻でございました。吊られた状態で発声するの、地面で踏ん張れないからめちゃくちゃ難しいんですが声がまっったくぶれないんですよ。本当に凄いんですよ。エレンとの掛け合いシーンだったけど完全に推し食われてましたね…母は強し。あそこは正直ほぼカルラママしか観て聴いてませんでした。私意外とどの作品でも死ぬ瞬間の場面では泣かない方なんですが(むしろ死後残された者が故人を偲ぶ場面で泣きがち)、歌が素晴らしすぎて涙流す寸前までいきましたわ……。強く美しいお母様をありがとうございました。

 

104期同期訓練兵

コニー。ちっちゃくてすばしっこくてちょっとおバカな愛されるコニーがそこにいました。おバカなキャラに振りすぎず、ちゃんとコニーの身体能力の高さや優秀さも感じられるお芝居で良かった。でも抜けてる所はちゃんと抜けてて自然に笑いが起こるようなコニーで良かったです。


サシャ。おい、同期の男共なんでこんなに可愛い彼女をほっとくんだお前らの目は節穴か?!私が同期なら即落ち&アタックしてるが?!レベルで可愛かった………。しかも身体能力もエグい……。そして蒸かし芋の場面の舌打ち、間も言い方も表情もめっっっっっっちゃ最高でした。戦闘時の怯えを抱きつつ果敢に挑もうとする姿もサシャそのままでした。先に観てきたフォロワーさん方が揃ってサシャ可愛いって言ってたの良く分かりましたサシャ可愛かった…


マルコ。スタイルも顔も運動神経も人間性もいいただのイケメンがそこにいた…。アニメで見た時ちょっとオドオドしたり地味な感じとかあって序盤に死んじゃうし、正直あんまり気にしてなかったんだよね…ごめん。でも今回の泰江マルコで彼の人柄や周りからの信頼、福澤ジャンとの絆をよりしっかり感じられて好きになりました。マルコ、お前本当にいいやつだったんだな……。ラスト全員でのダンスで1人だけ訓練兵装備のままなの、物凄く胸が締め付けられる思いでした。マルコ、死ぬな…………


ジャン。あの福澤侑くんがキャスティングされた時点で期待しかしてませんでした特にダンス。いやぁ〜本当に良く踊る踊る!主演差し置いてセンターで踊る権利があなたにはある。もう納得&迫力のダンスでした。1人だけ上手すぎて目立つレベル。素晴らしすぎて私の貧相な語彙力では語り尽くせないので皆様配信でもいいから観て。ほんと観て。皆様がジャンに惚れて帰ってきたのもグッズのレートが高くなったのも納得。福澤ジャン最強。スタイルや微妙にやる気のなさそうな感じもジャンって感じで良かった。あと原作勢の方々が綺麗なジャンって言ってた意味が分かりました。妙に腹立つ嫌味な成分薄めの結構良いやつなジャンでした。そこはもう少し嫌味な感じあってもいいのかな?とは思ったけど、東京ではどんな加減で来るのか楽しみにしてます。

 

幹部組

ハンジさん。はわゎカッコいいおねぃさんがおる好き…。抑えきれないダダ漏れな色気ヤバい。知ってました?美人の度が過ぎるとどうなるか。イケメンになるんですよ。それを惚れずしてどうしろと。訓練兵向けの巨人講座で楽しそうにわちゃわちゃちょっかい掛けてる姿可愛い。美人とイケメンと可愛いは同居するんですねぇ…。締める所はキリッとクールになるし切り替えのギャップで風邪ひく…すげぇハンジさんかっこよかったです眼福…。


エルヴィン団長。私如きの心臓でよろしければ!いくらでも捧げます!!捧げさせてください!!!もうね、歌が違うんですよ。1人だけ発声からして違う。立場的にアクションは無く本当に歌だけで団長という存在を確立させる必要があるんですが、圧倒的な歌唱力で有無を言わさない存在感がそこにはありました……。あのですね、声の振動がビリビリ伝わって来るんですよ。本当に。あの声で自分の身体が振動してるのが分かるのよ。これはぜひ劇場で体感して頂きたい。間違いなく貴方様が調査兵団団長でございます。あの異次元の歌を聴いてしまったら納得する以外の選択肢はない。キャスト発表の時点で期待と覚悟はしてたんですがもう瞬殺でした。歌の上手い人に軽率に惚れるんですが秒で落ちました。もうあれだけでチケットの元取れる。凄い。本当に凄い。語彙力は溶けた。


リヴァイ兵長。ワイヤーアクション、ダントツで上手い。マジで人類最強の男でした。大野エルヴィンがで魅せるなら松田リヴァイはで魅せるタイプ。魅せ方がエルヴィンとリヴァイの関係性そのままでめちゃくちゃ良かった。あと大野エルヴィンと並ぶと松田リヴァイ、ちゃんと小さいんですね…良き。
まず開幕初っ端のアクション。世界観にグッとひき込むための演出だけど人類最強の説得力凄い。吊られたまま回転する動きあるんだけど通ったフォロワーさん曰く、回転数増えてるらしく…え、増えてるんですか。増やせるものなんですか(普通は違います)。他の戦闘シーンでもリヴァイの機動力を表現するために街の背景結構なスピードで動くんだけど、ピッタリ合わせてるんですよ。本当にリヴァイ兵長が街の中飛んでるんですよ。吊られながらアクションして姿勢制御するって並大抵の体幹じゃねぇです。本当にワイヤーアクション凄かった。飛んでない場面でも勿論最強の男は健在でした。もう立ってるだけで滲み出る最強オーラ。大野エルヴィンと並ぶと2人とも圧が凄いのなんの。巨人じゃなくてこの2人の圧に殺されるかと思った


全くの余談なんですが幹部組3人の開拓団バイトに全く気付いていなかったの、舞台オタクを名乗る者として一生の不覚…配信で確認します。
そして気づきましたか…そうです、ここまでダラダラ書いてきてまだメイン中のメイン、幼なじみ組まだ触れてないんですよねぇ……ここからです。暇な方はもう少しお付き合いください。

 

幼なじみ組

アルミン。小西くんは舞台や映像の他作品で存じ上げていて、線が細く可愛らしい印象を持っていました。壁走ってたりもしたので運動神経も悪くなさそうだなと。ただミュージカルの方ではあまり存じ上げ無くて歌どうくるかな〜と思ってました。
結論、ちゃんと歌えてた。まだ荒削りな所はあるけどちゃんと声出てた。歌うまで名を轟かせてきた我が推しとちゃんとデュエットできてた。これは公演重ねる毎に上手くなってくパターンですねオタク知ってるんですよ。東京が楽しみです。いざ巨人との戦闘という場面や随所での怯える芝居も良かった。無知で怖がってるのではなく、頭が良くて諸々全て理解してしまっているからこその恐怖を感じているのが伝わってきました。そしてエレンを庇うための演説シーンは圧巻だった……。あの場面は間違いなくアルミン、あなたが主役でした。そこまでの怯えて震えるアルミンの印象があったから、胸張って声を張り上げて魂で叫んでる必死さがより際立っていて。あそこのアルミン、本当にかっこよかったです。


ミカサ。アニメで見た彼女のまんまでした。個人的にミカサには、エレンに重めの執着を持ってるキャラというイメージがあるんだけど、高月ミカサからもそれを感じられて良きでした。ジャンに凄いこと言われてるのに完全スルーしてエレンに言われるまま髪切るって言う所とか、戦闘中混乱したら私の所に来てって言う所とか。そこにミカサの持つ危うさもあって、エレンの死を知ってガスが切れて絶望に沈む場面にしっかり繋がっていた。全体的にトーンが抑えられていたから、感情を爆発させるシーンの芝居も良く生きていたように思う。良きミカサでした。


やっと辿り着きました推しターン。ここまででどうやら1万字弱書いていたらしいです。わー、凄いねー(棒)。という訳で満を持して推し、エレン。まいります。
まず全体的に声の伸びがいつもよりちょっと弱くて迫力に欠けるな、とは思いました。声も2箇所裏返ってたし連日の公演でお疲れかなという感じでした。その後初日立てるかギリギリの状態だった事を知りまして(詳細後述)。それであれだったのか…と思った次第です。東京では少しでも回復して迫力のある歌になってますように…。
そこ以外は基本的に良かった。今作の推しも最高だった。推し、顔と中身に反して過酷な運命背負いがちだから期待してたけど今回の切羽詰まった表情も最っっ高でした。カルラママを助け出そうとする場面の「俺だって逃げたいよ!」の言い方、恐怖と焦りと諦めたくない気持ちと色んな感情が乗ってて胸にくるものがあった。巨人化解けた時の「駆逐してやる……」の目がイッちゃってる表情もまた良くなってて最高に興奮した。
あと気になってたのはダンス。去年の夏しごかれて上手くなってたのは見てるけど、今作は更にプロの中のプロがいる中で同等にしかも主演で踊るってめっちゃプレッシャーだよな…と。でも見たら全然そんな事なかった。また上手くなってた。少なくとも福澤侑くんと並んで踊ってても違和感を感じないぐらいにはなってた。いや普通以上に上手くなってた。めっちゃ練習したんだろうな…。元々リズム感悪くないし関節も先天的な柔軟性持ってるから練習すればもっと上手くなるって思ってるので。東京であのキレッキレダンスが更に進化してるのを期待。
あと今回もガン見しちゃったのがミカサとの出会いの回想シーンで強盗に取り押さえられるあの場面。推しの歌唱力以外でどこが推しポイントかって聞かれたら抵抗する芝居って答えちゃうぐらい好きなんです。マニアック過ぎてごめん。なんかもうね、上手いとしか言いようがないんだけど上手いの。抵抗の仕方がガチ。別作品でその芝居見た時に、原作モノだから展開知ってたはずなのに世界に引きずり込まれちゃって茫然としたぐらい。抵抗の仕方に全く遠慮が感じられないんだよね。勿論芝居だから相手役と入念に稽古も打ち合わせもして自然に見えるようにお互いに工夫してくださってるのは知ってる。でもそれを通り越したガチ感を推しの芝居から感じてしまうんですよ……全身全霊で抗おうとする姿が鬼気迫るものがあってもう本当に大好きで。今回件の場面も頭抑え込まれて脚をジタバタさせる姿とか馬乗りされて首締められそうになってる姿とか、芝居って分かってるのに物凄くハラハラドキドキして(ごめんその半分ぐらいは興奮から来るものですだってああいうシーン、オタク大好きでしょガン見してた人正直に手挙げて)。そのめちゃくちゃ臨場感ある芝居が大好きで今回も見られて眼福でした。あとグリシャパバから逃げる場面もガチで怯えてる感あってとても良かったです。ありがとうございます。
巨人への復讐心からくるブレない言動ってのがエレンのキャラクター性としてあると思うんですが、全体的にとても説得力のあるお芝居でそれを体現してたように思う。声の出し方とか、立ち方とか、何気ない身体の使い方とか。細かなディテールをちゃんと詰めてきてるのがよく感じれるお芝居でした。神は細部に宿る
少し惜しかった点としてはまず、アルミン助けて食われる所の映像とのタイミング。ブレード構えるタイミングちょっと早かったんだよね。ただあそこ、後ろの映像ノールックで合わせないといけない激ムズシーンなのは百も承知です。もうこれは日々振り返りしてタイミング確認してとしか言いようがないので頑張れ、推し。
あと上手く空中姿勢保てなくて同期に聞いて回る場面。う〜〜〜ん!抑えきれない爽やかいい子オーラ出ちゃってるんだなぁ〜〜〜!多分エレンって爽やかいい子系主人公ではないと思うので。今回は仕舞っといて、推し。
そしてここ感じたのは私だけかもしれないんだけど、泣きじゃくって嗚咽する場面で去年春の某金髪頭がチラついちゃったのよね…。なんか泣き方似てるなぁって。まだ経験少なくて難しいかもだけど、バリエーション増えたらもっと魅力的なお芝居になるかな、って思った。

 

最後に

なんか色々書きすぎてとっちらかってるんですがとにかく結論としましては、進撃ミュめっちゃ楽しかったです。正直始めちょっとチケット代高いな…とは思ったんです。そして今年もまた観劇始めでえげつなく人死ぬんか…とも(去年の初観劇は某バナナと魚のやつでしたお察しください)。でもいざ蓋を開けてみたらキャストもスタッフもガチなのが感じられる素晴らしい舞台でした。内容は決して明るくはないし重いんだけど、強大な壁に立ち向かおうとする皆の姿から沢山のパワーを貰う事もできて、また明日から頑張ろうという気持ちになれました。本当にお値段以上のものを観させて頂いた作品でした。こんな楽しい超ハイクオリティな舞台が1回で終わってしまうの超もったいないのでどうか!続編を!お頼み申します!!!!!


これは完全に余談ですが観劇で座ってただけなのに力入りすぎで脚軽く筋肉痛なったしエネルギー消費えげつなくて終演後にフォロワーさんとご飯の相談した時に今めっちゃ肉食いたい気分です!!って言ったら笑われました。

 

 

 

舞台オタクのデカい独り言


以降はめんどくせぇオタクのクソデカ感情を書き連ねたデカい独り言なので読まなくても差し支えないです。ただ持て余したこの思いを抑えきれなくて書きました。
disのつもりは毛頭ありませんが強めの言葉を使った自覚はあるので閲覧は自己責任でお願いします。私なりの推し愛は込めたつもりですが、推しの高評価だけ見たいって方は避けた方がいいかもです。(先述のヤバかった事情を詳しく知りたい方は「」2個目付近まで読んで頂ければ分かります)

 

 


まず歌の第一声を聴いて、(あ、今日ちょっと調子悪いな)と感じたんですね。全体的に声出すの苦しそうだったし音2箇所外すし。終演後ツイートで今まで見た事なかった濡れマスク姿写ってるし。大阪6公演目で疲れてたのかな、それにしてもいつもより悪そうだな…ぐらいに思ってたんですよ。
11日にゲスト出演したコンサートのフリートークにて推しが話した内容がこちら(こちらは行けなかったのでレポによる情報ですが)
「年末に喉潰しちゃって」
………は?
「進撃の初日になんとか間に合って」
………………………………はい?????(クソデカボイス)
推しそんな状態で歌ってたの?????ちょっとお疲れどころのレベルじゃないじゃん何それ聞いてないんだけど???いやそれでよく大阪乗り切ったね???そりゃ苦しくもなるよね??ほんっっとうに心配になるし新年早々過去いち肝が冷えたわよ…………。東京までには多少でも回復して最後まで乗り切って欲しいけど無理はしないで…ほんとに…まだこの後も控えてるからね……。そんな中で頑張ってくれた推しに対して、くる民的にはめちゃくちゃ労わってあげたい気持ちなんです。お疲れ様、よく頑張ったね、無理しないでねって。でも舞台オタクな私としては音を外した事に思う所もありまして。
「一音落とす者は去れ」某有名劇団の稽古場に掲げられている標語なのですが。ミュージカル俳優において音を落とす事が如何なる事か。そういう事なんです。厳しい事を言うようだけど、板の上に立ってしまえばベテランも新人も、好調も不調も、観客には関係ないんです。その瞬間板の上で行われた事が全てなんです。その瞬間いかに良いパフォーマンスをするかが、ミュージカル俳優の評価のほぼ全てと言っても過言では無いと思ってるんです。だから本番に、しかも主演で、2箇所も音を落とした事にかなり思う所があるんですね。板の上に立つと決めたならたとえ不調でもそれを隠し通して欲しい。どんな手段使ってもいいから。それが出来ないなら潔く休んで欲しい。戻って来るまで待ってるから。だから推し、音は絶対落とさないで。頼む。以前ご本人も、役者にとっては複数ある公演の1回でもお客さんにとってはその1回が全てだから、シングルキャストでも長い公演を乗り切れるような力をつけたい(意訳)、って言っていたので。まだその域には遠いね…まぁそんな事はご本人が一番分かってる事だとは思うしただのいちファンが言うことではないのも重々承知ですが。は〜〜!推し、まだまだ伸び代いっぱいあるなーーー!!