刀ミュ 花影ゆれる砥水 脚本についてのあれこれ

伊達双騎や江おんといういわば番外編での浅井脚本は観てきたが、本編での浅井脚本は今回初という事で個人的な所感を残しておきたいと思う。

結論から言うと私は、今までの伊藤脚本も今回の浅井脚本も、どちらも味わいが違って美味しく頂けそうです。ただ持ち味は本当に真逆かってぐらい異なると個人的に感じたので、それをこちらに書き記しておこうと思う。

 

伊藤脚本

例えるなら濃厚こってり豚骨ラーメンの味わい。個人的所感としては、様々な要素を盛り込みつつキャラの設定に新たな役割を付加し、これでもかってぐらい濃密な内容なのにバランスを崩さない絶妙さが光る、足し算の脚本という印象を持っている。パライソなんかはその印象が顕著だ。島原の乱にまつわる諸説を盛り込みつつ、それぞれのキャラの公式設定を超えた役割(特に鶴丸や心覚豊前)も付加させて時代劇と2.5を融合させたエンタメとして成立させている。これでもかってぐらい要素を入れ込んで全方位から殴ってくるような内容になっているおかげで、観客的には猛毒の劇物をいきなり口に入れられて何故と思う間もなく即死しているような感覚になるのだが。

とにかく伊藤脚本は要素を盛り込むのが本当に上手いと思う。1つの幹からそんなに枝葉広がるんですか?!ってぐらい話を広げてくれるので、行間を読むのが大好きなオタクはあるか無いかも分からない行間を読んで勝手に自爆している光景がよく見られる(私ももれなくその一人である)。

 

浅井脚本

例えるなら出汁香るあっさり塩ラーメンの味わい。個人的所感は、キャラの公式設定という素材が持つ旨みを極限まで引き出しつつその味わいを更に引き立たせるような要素を絞って入れてシンプルに仕立てた、引き算と掛け算を合わせたような印象。

特に各男士のキャラクター像の描き方が秀逸だなと感じた。様々な要素を持つ大枠としてのキャラ像という木材から、ミュ本丸の男士という彫像を彫り出しているような印象をうけた。それだけ各男士の性質そのものを深く掘り下げるような描き方は、伊藤脚本とは異なる所であったと思う。

そして何より、伊藤脚本によって広がった枝に実った果実を全て回収するんだという意志を感じられた。これは伊達双騎や江おんも然りなのだが、過去作の出来事を台詞や曲という形で今まで以上に明言してくれていたのが個人的には良かった。これから広がりに広がった伏線を少しずつ回収していく道筋がやっと示されたような気がした。なので新たに盛り込まれる要素が少ない分薄味に感じるかもしれないが、気づかないうちに少量ずつ薬を盛られていて気づいた時には致死量に達していた、というような脚本になっていきそうな予感がして今から震えている。

 

歴史へのアプローチ法

伊藤脚本は歴史上のある出来事にフォーカスして縦軸として捉え、歴史という大河に翻弄される1ピースとしてのヒトをカミ視点で描く、という印象を持っている。対して浅井脚本は、ひとまず伊達双騎と花影においては特定の個人にフォーカスし横軸として捉え、刹那を生きるヒトと永遠に残るモノとの関わり合いをヒト視点で描いているような印象を持っている。

それ故に伊藤脚本の良さは非常にドラマチックに歴史事件を描ける点にある。描く範囲を限定することで様々な要素を入れられ、物語を膨らませて大胆に展開していくことが可能だ。

対して浅井脚本の良さは、個人の背景や心理を深く掘り下げられることだ。伊藤脚本の持つ歴史ドラマ的なスケールの大きさには欠けるかもしれない。しかし過去の人物があたかも目の前に現れたかのような解像度でもって存在し、その生き様を目撃することができる人間ドラマ的な繊細さがある。

 

脚本構成・歴史へのアプローチ法としてどちらもありだし、それぞれ見える世界が異なって面白いと個人的に思う。もちろん各々方の好みはあると思うのでどちらも好き嫌いは分かれるだろう。幸運なことに私はどちらも美味しく頂けそうなので、その違いを楽しみつつ刀ミュ本丸の行く末を見守って行きたいと思う。